万年筆の歴史
<万年筆の歴史>詳細年表

紀元前2400年頃/エジプト

葦ペンは葦の先端を割り、インキ持ちを良くし、書き易くする工夫がされていた。
まさに万年筆のルーツと言える。インキの主成分はカーボン(煤)であり、墨と同じ物である。
エジプト文明では良質の粘土がなく、ナイル河岸に豊富に生えていた水草パピルスの茎から作ったパピルス紙(紙の語源)に葦ペンと炭インキを使って象形文字を書いていた。

西暦79年/ポンペイ

西暦79のヴェスビアス火山の噴火で埋まったポンペイの廃墟から青銅製のスタイラスペン(尖筆ペン)が発見された。これが現存する世界最古の金属製ペンである。

西暦85年/ローマ

ローマ王朝時代は真鍮や銀製のスタイラスペン(尖筆ペン)が使われていたが、これが喧曄の道具として使われたために西暦85年に時の王が一般人の使用を禁止した。
代りに登場したのが骨製や木製のスタイラスペン(尖筆ペン)である。

700年頃 羽根ペン

羽根ペンは7世紀初め頃から、18世紀までなんと1000年以上も使われていた筆記具である。
15世紀末「ハムレット」を書いたシェークスピアも、「失楽園」を書いたミルトンも羽根ペンを使い、羊皮紙に書いていた。鵞鳥の羽根で作られたものが大部分であった。

1300年頃 スタイラス

ヨーロッパでは板などに鉛箔を貼り、その上にニカワやアラビアゴムを塗って乾かしたものに、真鍮・青銅などで作ったスタイラスペン(尖筆ペン)を使い文字を書いていた。

1780年 ペン先

イギリスの金具師サムエル・ハリスン(Samuel Harison)が鋼鉄板を筒状に丸めて、あわせ目が切割の働きをするペンを作った。

1750年頃 金属ペン

羽根ペンは先端がすぐ摩耗するので、その不便さを取り除こうと耐久性のある金属製のペン先の開発が進められた。
初期の金属製ペン先は羽根ペンのような弾力がなく紙が破れ易かったので、羽根ペンは金属製ペン先の発明の後も使われていた。

1761年 ファーバーカステル

ドイツのニューンベルグ市郊外のシュタインで鉛筆の製造を始めたのが1761年である。この後、事業を拡大し万年筆の製造に着手したのが1935年(昭和10年)であった。

1795年 ペン先

イギリスの鍛冶屋のフェロース(FeIlows)がペン先を裏側で合わせて、表の切り割りを後から入れる方法を考案し品質が向上する。

1804年 ペンポイント

万年筆のペン先の先端はペンポイントと呼ばれ、銀色の小さな別の金属がついている。
これはイギリスの科学者テナント(Smithon Tennant)が発見したイリジウムとオスミウムの合金で、イリドスミンという摩耗に強い金属である。

1808年 ペン先

製紙機械発明で有名なドンキン(Bryan Donkin)が金属ペンとして初めて特許を得た。

1809年 万年筆

イギリスのフレデリック・B・フォルシュが、インキの空気交替を考慮し、インキを貯められるペンを考案し特許を取得する。不完全ながら今日の万年筆の礎となる。

イギリスのブラマー(Joseph Bramah)も軸内にインクを貯められる仕組みを考えた。これに「コンパウンド・フォウンテンペン」 = 「泉筆」(泉のようにインクが流れる)と名付けた。

1819年 ONOTO(オノト)

オノト万年筆は現在でもよく知られているが、この会社は印刷を本業として発足しその後1905年に万年筆を発売した。その製作所はトーマス・デ・ラ・ルー社といいロンドン・バンヒルロ街にあった。

1828年 日本初の“万年”筆

近江の鉄砲鍛治師「一貫斎国友藤兵衛」が筆にインキタンクを備えた「懐中筆」を発明する。
これは青銅製の筒先に筆の穂先を取り付け、胴内に貯えた墨が穂先を伝わって、いつでも書き出せるというものであった。

1830年 ペン先

アメリカのジェームズ・ペリー(James Perry)とジョシア・メーソン(Josiah Mason)がバネ鋼を半円状に成形し切割の終点に穴を開けて、現在のペン先の原型を作り出した。
しかし長く使う間にペン先は磨耗し、ペン本体は腐食するという欠点があり、その後も飽くなき改良が続けられた。

1836年 書記用インキ

イギリスのステフェンス商会が、最初は青で後に黒く酸化発色するブルーブラックインキと同じ原理のインキを作った。

1838年 PELIKAN(ペリカン)

ペリカン社の歴史は絵具(顔料)工場から始まる。
1863年、化学者ギュンター・バーグナーがその事業に参加し、社名をバーグナーと改め、1878年、バーグナー家の紋章である「ペリカン」を商標とした。
その後、絵具(顔料)工場から次第に万年筆や文具の分野に手を広げた。万年筆の製造販売は1929年からである。

1843年 SWAN(スワン)

イギリス製品といわれているがルーツはアメリカである。
アメリカ・ニューヨーク市にメービー・トッドという会社が設立され1880年にロンドンに支店を持ったが、その後、支店のほうが盛大になり、イギリスに本拠地を移し、万年筆や文具などを製造販売した。

1850年 リザーボアペン

19世紀半ば、ペン先にインキを出来るだけ多く貯えさせる工夫がされた。インキの貯えを増大させるようにしたものを総称してリザーボアペンという。
デザイン重視のように見えるが、実際はインキの表面張力の利用、ポケットを設ける、両袖を折り畳む、重ね合わす、付属品を付ける等の工夫をしてペン先に少しでも多くのインクを貯え、長く書けるように努力した結果である。

1851年 エボナイト

アメリカのチャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)によって硫黄と生ゴムを材料とした合成樹脂「エボナイ卜」が発明される。
エボナイトは、耐久性に富み、インキの酸に侵されず、磨くと美しいつやが出て、当時の万年筆の軸材としては最適な素材といえたが、月日が経つと茶色に変色するという欠点があった。

1852年 イリジウム付金ペン

イギリスのジョン・A・ホーキンスが、イリジウム付金ペンを発明。ペン先の耐酸性・耐久性が一段と増す。

1871年(明治4年) 鋼ペン

日本に初めて鋼ペンが渡来する。

1872年(明治5年) インキ

フランス製のインキが初輸入された。日本でも製造されたが、一部官庁や特定の人以外には普及せず、日露戦争後(1905年)にようやく一般社会にもインキの需要が増大し、万年筆の流行と共に隆盛を見た。

1878年(明治11年) スタイログラフィックペン

アメリカのアロンゾ・タウンゼント・クロス(A.T.クロス社の創立者)が発明。

1884年(明治17年) WATERMAN(ウォーターマン)

ウォーターマンが世界初の毛細管現象を応用した万年筆[ザ・レギュラー]の特許を取得する。
LE.ウォーターマンが保険のセールスマンをしていた時、客と契約書をとりかわしてサインを求めたところ、インキのボタ落ちで書類を汚して顧客を失ってしまい、それから万年筆の発明に取り組んだという話はあまりにも有名である。
アメリカ・ニューヨークのコートランドストリートを下ったブロードウェイの煙草店の裏で、1884年、自分の発明した毛細管作用の万年筆を製造し販売した。

1884年(明治17年)頃

横浜のバンスタイン商会が初めてアメリカ製の『カウス・スタイログラフィックペン』を輸入。丸善で販売された。

1885年(明治18年) 針先万年筆

丸善の「引き札」ちらしに初めて「万年筆」の文字が出る。
当時はカウス・スタイログラフィックペン(針先万年筆)とダッシュアウェイ・フォウンテンペン(金ペン付き万年筆)の双方を「万年筆」と呼んでいた。

1895年(明治28年) WATERMAN(ウォーターマン)

丸善が、わが国で初めてウォーターマン社の万年筆を輸入販売。

1892年(明治25年) PARKER(パーカー)

パーカー・ペン・カンパニーが設立。
ジョージ・パーカーはアメリカ、ジェーンビルで通信術の教師をしながらサイドビジネスとしてペンの商売を手がけ、ペンの修理をしている中、次第に高度なペンを造る方法を発明した。
彼は先ず自分の作ったペン芯を「ラッキーカーブ」(幸運の曲線)と名付けた。そしてW.F.バマーと共同出資し1892年に会社を設立した。

1898年(明治31年) インキ吸入方式

コンクリン社がインキ吸入方式・クレセントフィラーの特許取得。

1899年(明治32年) WATERMAN(ウォーターマン)

ウォーターマン社が初めて「スリー・フィッシャー・インキ・フィード・バー」(3本溝ペン芯)に代わって、新しく開発された「スプーン・タイプ・インキ・フィード・バー」(インキ溜まり付きペン芯)と呼ばれるペン芯付きの万年筆を製作した。

1903年(明治35年) WATERMAN(ウォーターマン)

ウォーターマン社がポンプ式万年筆を導入。

1906年(明治39年)

米が一斗(14.3kg)1円30銭位の時、万年筆の価格は
ペリカン万年筆  6円<
オノト万年筆  6円
スウイフト万年筆 5円<
であった。

1905年(明治38年)WATERMAN(ウォーターマン)

ウォーターマン社によって世界で初めてクリップのついた万年筆が製作される。
ポーツマス条約の調印にウォーターマンの万年筆が使われる。

1906年(明治39年) インキ吸入方式

イギリスのジョージ・スイーツアーがプランジャー吸入方式を発明。
イギリスのデ・ラ・ルー社(オノト)がこれを採用し、1906年特許を取得しONOTO万年筆を発売。

1907年(明治40年) MONTBLANC(モンブラン)

ドイツの港町ハンブルクで商人達が集まって万年筆の製作を始めた。
ハンブルクはドイツの重要な商業港であって、この万年筆も輸出産業に貢献した。翌年にシンプロ・フィラー・ペン社が設立された。

1907年(明治40年) WATERMAN(ウォーターマン)

使わない時にペン先を軸内に収納してインキ漏れを防ぐ「セーフティーペン(繰出し式)」をウォーターマン社が発売。

1907年(明治40年) ONOTO(オノト)

丸善がデ・ラ・ルー社の日本における代理店として「オノト」を輸入して、6円で販売を開始した。夏目漱石、菊池寛など多くの作家が愛用した。

1908年(明治41年) SWAN(スワン)

伊藤農夫雄が「スワン」万年筆を発売。
英国のマービートッド社のスワン万年筆は「本スワン」と呼ばれ日本のスワンと区別されていた。

1908年(明治41年)

明治41年11月7日の閣令第四号で、鋼ペンとインキの正式使用が認められた。

1909年(明治42年)

並木良輔(東京商船学校教授)は製図の授業に使う烏ロを改良して特許を取得し、「並木式烏口」の製造販売を行なった。
その後万年筆の研究を行ない、1911年(明治44年)「吸入式ナミキ安全万年筆」の特許を取得した。また、ペン先に用いるイリドスミンの溶融にも成功した。

1910年(明治43年) MONTBLANC(モンブラン)

ドイツのシンプロ・フィラー・ペン社が万年筆「モンブラン」を発売。

1911年(明治44年) セーラー

坂田久五郎が広島県呉市において創業。
その後、社名を1932年(昭和7年)に㈱セーラー万年筆坂田製作所、1941年(昭和16年)に㈱坂田製作所とする。
戦後1960年(昭和35年)にセーラー万年筆㈱に改称している。

1912年(大正元年) SHEAFFER(シェーファー)

宝石商のW・A・シェーファーがテコ式自動吸入万年筆の特許を取りW・A・シェーファー・ペン社を設立した。

1912年(明治45年) MONTEGRAPPA(モンテグラッパ)

アレッサンドロ・マルゾットがイタリア北東部バッサーノにエルモ・モンテグラッパ社を設立し、主に金ペン先を製造した。

1912年(明治45年) 明治の文豪と万年筆

夏目漱石・北原白秋・幸田露伴・河合玉堂らが万年筆について語るエッセイと図解がのった「万年筆の印象と図解カタログ」が丸善から発行される。(1989年に復刻)

1913年(大正2年) MONTBLANC(モンブラン)

シンプロ・フィラー・ペン社が、「モンブラン」の名称とキャップヘッドの白い星を、商標登録する。

1913年(大正2年) ORION(オリオン)

丸善がオノトを製造しているデ・ラ・ルー社にスポイト式の普及型万年筆「オリオン」を日本向けに特注し、2円80銭で販売する。

1913年(大正2年) PARKER(パーカー)

固形インキ
パーカーが、インキの補給が困難な第一次大戦の戦地で使用する兵士のために、固形インキを水で溶かして使うラッキーカーブ・トレンチペンを開発。

1916年(大正5年) PARKER(パーカー)

クリップ
座金クリップを開発。このクリップはキャップ頭冠部に取り付けられたので、ポケットに深く差す事が出来た。
従業員のウィリアム・ムーアによって考案されたので同社は彼に17年間ロイヤリティーを支払い続けたという。

ボタンフィラー式インキ吸入の特許取得。

1916年(大正5年) PILOT

並木良輔が初の純国産14金ペン完成。
電気溶接法でペンの先端の金が溶けイリドスミンの球を包み込み腐蝕にも強いペン先の製造技術を確立した。

1916年(大正5年) インキ

丸善株式会社がアテナインキを製造・販売を開始した。

1918年(大正7年) PILOT

並木良輔は和田正雄の協力を受け㈱並木製作所を設立。
商品ブランドはパイロット、創業者の並木と和田が船乗りであったことに起因するが、同時に時代に先駆けようとする水先案内人の思想から命名した。「パイロットペン」の名で、木軸にペンとペン芯を付けたバンカースペンを売り出し、製品第1号として銀行や事務所で好評を受けた。
1938年(昭和13年)パイロット萬年筆㈱と社名変更しブランド名と社名を統一、1989年(平成元年)に㈱パイロット、2003年(平成15年)に㈱パイロットコーポレーションに改称。

1918年(大正7年) GEHA(ゲーハー)

ゲーブリューダーとハルトマンの両氏によって事務用文具製造会社として1918年にゲーハー社を設立し、1930>年には印刷機を製造し、1950年筆記具部門を設立して万年筆、ペン先、その他筆記具を製造した。

1919年(大正8年) AURORA(アウロラ)

イザイア・レヴィがイタリア北部のトリノで万年筆工房のアウロラ社を設立。
軸は、エボナイトの他に18金張りや金無垢で造られていた。

1919年(大正8年) WATERMAN(ウォーターマン)

英国首相ロイド・ジョージがウォーターマン社の特別製純金万年筆でベルサイユ条約調印に署名する。

1919年(大正8年) プラチナ

中田俊一が万年筆事業に着手。
1924年(大正13年)に中屋製作所(後のプラチナ萬年筆)創業。

1920年(大正9年) サンエス

細沼浅四郎が「サンエス」万年筆を製造販売(サンエスとはSun Sea Starの意味)

1920年(大正9年) SHEAFFER(シェーファー)

シェーファー社が、構造上の故障を保証する永久保証の万年筆「ライフタイムペン」を発売し、一躍ウォーターマン社を抜き世界一の売上になった。

1921年(大正10年) PARKER(パーカー)

パーカー社が世界初のカラー軸の万年筆「デュオフォールド」を発表。
「デュオフォールド」は2倍という意味で、従来の万年筆と比べてインキ容量が2倍、耐久性が2倍というネーミング。鮮やかなオレンジ色のボディーで爆発的人気を呼んだ。

1922年(大正11年) PILOT

N型(首旋回インキ止式)星合せ万年筆を発売。首と軸の星印を合せるとインキ孔が開き筆記できる独自の方式。1円50銭と2円で発売。

1924年(大正13年) MONTBLANC(モンブラン)

シンプロ・フィラー・ペン社(現・モンブラン社)が、万年筆「マイシュターシュティック」を発売。

1924年(大正13年) SHEAFFER(シェーファー)

セルロイドの軸をラダイ(Radaite)と称し、翡翠色(Jade green)の万年筆は、色軸時代を導引する口火となった。

シェーファーがトレードマークにホワイトドット採用。

1925年(大正14年) OMAS(オマス)

アルマンド・シモンは自ら作った万年筆を「オマス」と命名。
Oficina Meccanicha Armando Simoniアルマンドシモン工房の略。

1926年(大正15年) PARKER(パーカー)

パーカー社は、カラー軸の万年筆「デュオフォールド」に金ペンとセルロイド軸材(Parmanite)を使用。
飛行機からの落下テストやグランドキャニオンに投下テストする派手な宣伝が評判を呼んだ。

1927年(昭和2年) WATERMAN(ウォーターマン)

リンドバーグが初の大西洋横断飛行に成功。その時、機上に持ち込んだのがウォーターマンだった。

1929年(昭和4年) MONTBLANC(モンブラン)

シンブロ・フィラー・ペン社(現・モンブラン社がマイスターシュティックのペン先に当時測定したモンブランの標高「4810」の数字を刻印した。

1929年(昭和4年) PELIKAN(ペリカン)

ペリカン社初の万年筆を発売。1925年に特許を取得したピストンインキ吸入式で、モデル100と呼ばれた。

1930年(昭和5年) CROSS(クロス)

アメリカのクロス社が万年筆を作り始めたのは1930年、日本では1982年に発売。

1930年(昭和5年) PILOT

特殊な沈殿防止剤を配合した世界的に優れた「ブルーブラックインキ」の発明を成し遂げる。(特許第88847号)
日・英・米・仏・蘭の特許取得。

「ダンヒルナミキ万年筆」ヨーロッパで発売。

1933年(昭和8年) PARKER(パーカー)

パーカー社が、新機構のインキの吸引方式と、矢羽根型クリップが特徴的なパキュマティック(真空吸入式)を発売。
後にパーカーのトレードマークになる矢羽根型のクリップは、この万年筆から導入された。

1933年(昭和8年) PILOT

P型(プランジャー)<
インキ止式自動吸入式万年筆(真空吸入)セルロイド軸万年筆を発売。3円50>銭~5円

1935年(昭和10年) WATERMAN(ウォーターマン)

インキカートリッジウォーターマン社が、インキカートリッジのパテントを登録。

1939年(昭和14年)

金の全面使用禁止令が公布

1940年(昭和15年)

奢侈品等製造販売制限規則が施行され、高級万年筆が作れなくなった。
物価統制令により政府が決めた価格以上のものは販売を禁止され、万年筆1本5円、シャープペンシル1本3円の公定価格が設定された。

1941年(昭和16年) PARKER(パーカー)

パーカー社が「パーカー51」を発売。
世界のデザインコンクールで大賞を受賞するなど完成度も高くヒットし、戦後の日本にも数多く輸入された。1970年まで様々な51が製作発売される。

1942年(昭和17年) SHEAFFER(シェーファー)

シェーファー社が「トライアンフ・ライフタイム・ペン」を発表。

1949年(昭和24年) セーラー

インジェクション軸万年筆発売

1951年(昭和26年) PELIKAN(ペリカン)

ペリカン社から万年筆#400~#700が発売される。現在のくちばしをモチーフにしたクリップはこの年から採用される。

1952年(昭和27年) SHEAFFER(シェーファー)

シェーファーが特殊な吸入式「シュノーケル」を発表。

1952年(昭和27年) MONTBLANC(モンブラン)

モンブラン社が「マイスターシュティック149」を発売

1954年(昭和29年) セーラー

坂田製作所(セーラー)がカートリッジ万年筆特許取得

1955年(昭和30年) PILOT

「パイロットスーパー」を2, 000円で発売。
この万年筆の「チップフルペン芯」と「中パイプテコ式」の登場によって従来のテコ式やインキ止め式万年筆の時代が終わる。

1957年(昭和32年) プラチナ

プラチナ萬年筆は、インキ出を自動調整する画期的な機能をもつペン芯を完成し、カートリッジインキ方式の万年筆をはじめて実用化、「インクビンよ、さようなら-プラチナオネスト」を市場へ送り出す。

1958年(昭和33年) ONOTO(オノト)

イギリスのデ・ラ・ルー社がオノト万年筆の製造を中止する。

1958年(昭和33年) セーラー

セーラー万年筆がカートリッジ式万年筆発売。

1958年(昭和33年) PILOT

パイロット萬年筆が当時の技術の粋を集めた「ウルトラスーパー」を発売。
漆仕上げR-W500 5,000円 金張鞘RM-W500 5,000円

1960年(昭和35>年) プラチナ

プラチナ萬年筆は、世界一の容量をもつカートリッジインク使用のオネスト66”完成。

1962年(昭和37年) プラチナ

プラチナ萬年筆は、日本最初の五角絞り18金ペンのプラチナ18発売。金ペン先時代を築く。

1963年(昭和38年) セーラー

コンパクト万年筆「ミニ」発売

1963年(昭和38年) PILOT

パイロット萬年筆は、世界最初のキャップのない万年筆「キャップレス」回転式発売。
C-600MW 6,000円 C-1000GW 10,000円

1963年(昭和38年)

外国万年筆が輸入自由化となる。
パーカー75スターリングシルバーは、高度経済成長期の若いサラリーマンの月収とほぼ同額であった。

1966年(昭和41年) プラチナ

プラチナ萬年筆が白金ペン付きの万年筆“プラチナ プラチナ”(PP-10000)を発売。

1968年(昭和43年 セーラー

セーラー万年筆が21金ペン先の万年筆発売。

1968年(昭和43年) PILOT

ショートタイプ万年筆「エリートS」発売。
(翌年放送された大橋巨泉によるCM「はっぱふみふみ」でも有名)

1971年(昭和46年) PILOT

日本の文字のための万年筆「カスタム」シリーズ発売。

1976年(昭和51年) セーラー

セーラー万年筆がカラーインク10色のカラフル万年筆「キャンディ」発売。

1978年(昭和53年) プラチナ

プラチナ萬年筆が富士山の標高から命名したヘビーライター向け万年筆「ザ・万年筆#3776」を発売。

1979年(昭和54年) セーラー

セーラー万年筆が超細身万年筆「シャレーナ」発売

1981年(昭和56年) セーラー

セーラー万年筆が「プロフィット」シリーズ発売

1982年(昭和57年) DELTA(デルタ)

イタリアのデルタ社がイタリア、パレーテの地に設立される。

1988年(昭和63年) VISCONTI(ビスコンティ)

イタリアのビスコンティが設立される。
簡単に大容量のインキを吸入できる「パワーフィラー」という吸入方式を開発した。

1989年(平成元年) プラチナ

プラチナ萬年筆は創業70周年を迎え、伝統技術を駆使した最高級手作り万年筆「透かし彫り唐草模様白金製・金製・銀製」「レターウッド」「エボナイト」「セルロイド」を記念発売。

1991年(平成3年) Stipula(スティピュラ)

イタリアのフィレンツェにて創業。
当初は高級アクセサリーのデザインと製造をしていたが、その技術を活かし、本格的に筆記具メーカーへと転身した。

1997年(平成9年) プラチナ

プラチナ萬年筆が樹齢3000年以上の屋久杉を使用した万年筆“屋久杉”(PTB-50000YN)発売。

1999年(平成11年) プラチナ

プラチナ萬年筆が西暦2000年記念万年筆発売。
創業80周年を迎え、「金透し」、「銀透し」、「白眉」、「赤壁」を発売。

2006年(平成18年) プラチナ

プラチナ萬年筆がカートリッジ式 万年筆「プレピー」200円を発売。

2007年(平成19年) セーラー

<

セーラー万年筆が「有田焼万年筆」発売

2008年(平成20年) プラチナ

プラチナ萬年筆は創業90周年を迎えるにあたり、東レ㈱の高性能炭素繊維を採用し、軽量高強度のカーボンボディーの高級万年筆発売。

2010年(平成22年) プラチナ

プラチナ萬年筆は新ブランド出雲を立ち上げ、(「黒溜」、「空溜」、「赤溜」、「鉄刀木」)万年筆発売。

筆記具お役立ち情報メニューボールペンTOP||マーキングペンTOPシャープペンシルTOP鉛筆TOP消し具TOP
© 2002 日本筆記具工業会,All right reserved.